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公的年金のお得な情報、無年金の解消策などを解説説明します。
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FPいいのさんから拝借しました。

今回の案はこうです。
会社員の夫と専業主婦の妻がいた場合、
夫の負担した厚生年金保険料は夫婦共同で負担したものとみなし、
年金を夫婦が半額ずつ受け取るというもの。
保険料の負担額や受け取る年金額はこれまでと変わりませんが、
専業主婦の受給する年金の根拠を明確にすることで不公平感を軽減するのだとか・・・。


まあ、根本的に理屈どおりの印象には収まらないのは置いておいて、
まだ詳細が明らかでない時にアレコレ考えるのも気が早いのですが

実はこれ、現行年金制度の「離婚時の年金分割」と「遺族厚生年金制度」に
とっても影響あるんじゃない!? って思ってしまいますよね?


例えば遺族厚生年金の今の仕組みはこうです。

例)夫が受給していた老齢厚生年金は100万円、妻は会社勤めの経験がなく老齢基礎年金のみ と仮定。

夫が死亡するとその75%が遺族厚生年金として妻に支払われます。
この場合は75万円です。

※ちなみに妻も老齢厚生年金を受給している場合は、
 ①夫の老齢厚生年金の75%相当
 ②夫と妻の各々の老齢厚生年金の50%ずつを足した額
 上記①と②の大きい額と、妻の老齢厚生年金との差額が遺族厚生年金の支給額

現行制度では夫死亡後、専業主婦の妻には自分の老齢基礎年金+75万円の遺族厚生年金、
となるわけですが、もし法改正され、単純に夫婦の老齢厚生年金がともに50万円となると・・・・

夫死亡により
①夫の老齢厚生年金の75%相当  50万円×75%=37.5万円
②夫と妻の各々の老齢厚生年金の50%ずつを足した額  50万円×50%+50万円×50%=50万円
上記①と②の大きい額と、妻の老齢厚生年金50万円との差額は・・・0円
よって、妻には遺族年金なし (現行制度より25万円の減)

となってしまいます。特段の例外的計算をしない限り理屈では・・・。
もちろん、タイミングの問題でしょうが。


いわゆる専業主婦の体の良い年金封じ込め法案  となる可能性高いですよね・・。


ここから僕の主張です。
これよりも、問題となるのが
いいてすか。

離婚とした妻にもぃくんて゛す。

独身者は年金が減るんです。

何回も離婚結婚したらチョー複雑になる。

全部もめる話です。

でもね。いいとこもあります。
国民年金3号未届けもくそもなくなること。

女性の自立をは阻む側面はあるが
あながち悪い話ではありません。

一番いいのは、年金一元化
みんな会社に勤めようが務めまいが
厚生年金に入っていられること。

そして、お金がきついなら
ベーシックは国民年金程度にして
後はオプションにできることにすること。


それが一番です。

個人で厚生年金に入る道が狭すぎます。

それから、払えないほど高いから
会社が嫌がるケースがありながら
現実に目をつぶり、保険料の焦げ付きばかり
考えて務めても入れない人がいることが
問題なのです。


払える人は払うだろうし
払いたくない人は
後で苦しんでも知りませんくらいなことは
しないと仕方ないでしょう。

払わないで生活保護受けた方が得
金額も多いなんてのもおかしいわけです。


縦割り行政の弊害です。

その辺が起こる原因は結局は
焦げ付きやら
回収の手間が面倒やから
役所がしません

それが問題なのです。
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プロフィール
HN:
にせ幹ニ
年齢:
63
性別:
男性
誕生日:
1960/06/17
職業:
特定社会保険労務士
趣味:
ミュージカル
自己紹介:
三流大学を浪人して卒業。就職には失敗し、一度目の就職は営業だが、あえなくクビになる。大学教授に泣きつき、先輩の会社に何とか入社。マツタ゛の下請け会社で、現場の溶接作業に従事、そこでひどい腰痛になり、その職場も断念。治療の傍ら、社労士試験を受けたが、
1回目は落ちた。2回目は専門学校に行き、何とか合格したものの。社労士事務所の就職は無く、受験講座の先生に泣きつき、某労働保険事務組合に入るが、女のこととかもあり、仕事の態度が悪かったため、クビに、その後、大変苦労し、昭和63年に開業した。同期のものは今はものすごく客がいるが、私は泣かず、未だ飛ばずです。20年近くたってようやく、遊べるようになる。劇団四季キャツツに出会い衝撃を受ける。その後、全国を飛び回り、四季の、子供ミュージカル以外、ほとんどのミュージカルを見た。自称にせ石丸幹ニである。年金については執念を燃やし、服部栄蔵年金道場を大阪に数度に渡り、行くが、レベルの高さにショックを受ける。その後、服部年金講座を数度、広島に誘致する。自らも年金講習会をNTT、新生銀行などで行う。大栄教育システムで、社労士受験講座の講師も勤めた。弟子は数が少ないか゛、現在、社労士会の役員になるなど、そうそうたる、メンバーが名を連ねている。弟子の方が、本人より、社労士会では認められたり、大きな事務所を運営している。一見でたらめに見えて、ちゃんとツボを抑えた指導には、舌を巻く人が多い。見かけと全然違う男である。
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